年間行事

1月1日 修正会
1月20日 秘鍵大師厄除護摩祈祷・真言禅(阿字観)・法話会

2月3日 節分星まつり
2月20日 秘鍵大師厄除護摩祈祷・真言禅(阿字観)・法話会

3月春分の日 彼岸御講

5月4日 柴燈護摩法要

6月20日 秘鍵大師厄除護摩祈祷・真言禅(阿字観)・法話会

8月16日 施餓鬼法会

9月秋分の日 彼岸御講

10月20日 秘鍵大師厄除護摩祈祷・真言禅(阿字観)・法話会

11月20日 秘鍵大師厄除護摩祈祷・真言禅(阿字観)・法話会

12月31日 除夜の鐘

通年・・・祈祷随時受付
厄除開運 交通安全 福寿増長 家内安全 身体健全 商売繁盛
息災延命 病気平癒 学業成就 心願成就 産生安穏(安産)

縁起

厄除秘鍵大師 妙楽寺 縁起

神亀三年(西暦726年)丙寅2月、行基菩薩が8人の同行を従え、美含郡(現、佐津方面)より当峰に入り、「この地、誠に殊勝の霊地」と感応し、未来永劫仏法流布との大願を立て、当地を末代峰と名付け、松・栂・樒の中間に草堂を建立。行基自ら松で無量寿如来・楠で薬師如来・樒で大日如来の仏像を彫み安置した。

十二支院(本坊 薬師院・末院 不動院・遍智院・観音院・極楽院・弥勒院・地蔵院・遍照院・大悲院・大乗院・心地院)を持つ中本山であり、後に後一条天皇(寛弘5年~長元9年)の勅願所として、また南北朝時代には、本見塚(現、香美町)に関所を置いて因幡道の流通を握っていたといわれる。

妙楽寺城域は山名氏守護所を守る戸辺羅山城塞群との寺域と一体化し、明徳元年の山名氏内紛によって山名氏清が同城の時煕を攻めた歴史も残る。また弁慶が頼朝の使者として入山したとの伝承もある。

地元住民の福寿増長・厄除開運・子孫安寧の現世利益を願う聖地として隆盛したが、無住時代に塔頭寺院が転派し、後に第一支院薬師院が妙楽寺を名乗った。本尊は薬師如来、また弘法大師が文殊菩薩の智剣を握られ般若心経秘鍵を説いておられる姿の日本三体厄除秘鍵大師(京都大覚寺・小豆島西光寺)の尊像を祀る。

大晦日の除夜の鐘は幽玄な梵鐘の音色に多くの参拝者が絶えず、また五月四日に執り行われる柴燈護摩法会では、但馬内外より現世利益を求めてたくさんの参詣人が訪れる。境内地の山上には四国八十八ヶ所御砂踏みも祀られている。

寺院・境内へご案内

永代供養墓 安らぎ観音

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参道を上がり、本堂を右手に中庭を過ぎますと、安らぎ観音様が見えてきます。

お寺へ行こう

お寺といいますと、最近は法事、葬式の際にお参りすればよい場所となっており、それらの代名詞になっています。
私が幼い頃、霊柩車を見ると親指を隠すようにしていましたが、その頃と変わらず、今の若い方々は僧侶を見ると、何か縁起でも悪いような顔をする人が多いようです。
そして、そういった若い人たちにとっては、仏教はやたら難解で遠く離れた存在であるといった見解を持たれているようです。
そのような間違った思いこみを正し、少しでも身近に感じ、心が安まり、幸せな日々を送られるよう、このホームページの公開を思い立ったのです。
外国人から見ても、日本ほど宗教に於いて複雑な国はないでしょう。
赤ちゃんが誕生してお宮参りは神社に参詣し、その子が大きくなって結婚式をキリスト教で行い、老いて亡くなれば仏教寺院で葬儀式を執り行います。何とも不思議な文化です。
その宗教のポジションを考察すると、どの国の歴史においても、政治・経済・宗教、これらの三本柱が同じ高さのレベルにあるときは、国は安泰しております。

現在の日本はどうでしょう。政治に関しては、どの議員さんを信じればよいのかわからない政治不信を招き、代議士の大先生は自分で自分の命を絶つようなまねをされ、世間に悪い影響を及ぼします。
経済に関しては、目先の利益ばかり追求して、経営破綻を引き起こしバブル崩壊という結果を生み出します。
宗教においても然り、多くの新興宗教が庶民を騙し、金品を巻き上げ、人を恐怖に陥らせています。
既成仏教においても、今、流行の援助交際で逮捕される住職がいます。人の幸せを願うための教えであるはずの宗教がこんな状態なのです。

三本の大黒柱がこのような格好では、世の中が落ち着かないのも当然であります。そして将来のある子供達が新聞紙上を賑わせていますが、大人がしっかりとしないと恐ろしい世紀末になりかねないと考えるわけです。

そこでもう一度、原点に返り、本来の宗教とはどうあるべきかを、私自身も含めて、皆さまと一緒に勉強したいと思う次第です。

まず、お寺にお参りして、檀信徒の皆さまからのご質問で多いのが、仏壇の祀りかた、線香をお供えする本数、そして一番ご興味を持っておられるのが、お布施のことです。

元来、布施は読んで字の如く、僧侶が身につけるための布を施すことです。在家信者達が着古した衣を心持ちで施すことが本来の意味であります。
ですが今の時代には、私どもが「お心持ちで結構です」と言いますと「そのお心持ちがわかりません。相場はどんなもんでしょう」と返されます。
こういったやり取りがしょっちゅう行われますので、檀家役員さん方と会議して基準を設定するわけです。

少し内輪話になりましたが、布施の本来の意味を知っていただき、無理の無いよう気持ちよく施せることが大切です。

檀信徒のご質問の一部をご紹介いたしましたが、前述のものは各宗派・各寺院によって相違がありますので、自分の家の菩提寺のご住職に聞くのが一番です。

さて、元に戻りますが、次に多い質問は「仏教はお釈迦さんの教えで、元は一つなのに、なぜこんなに宗派が分かれているのですか」という、正に的を得たご質問です
平たく申しますと、例えば、お釈迦さんの教えが十あるとするとして、たくさんの弟子達は、その十の中で、私は、この教えとこの教えが大切だと次の弟子に伝えていきます。
また、ある弟子はこちらの五つが大切だと布教していきます。それが長い年月を経て、枝葉として分かれていくのです。

また、もう一つには、その地域・土地によって願いが違うということです。私の地元、但馬を例にとってみると、香美町香住では、当然、大漁を願いでしょうし、養父市の辺りでは五穀豊穣を、豊岡市では差し詰め、商売繁盛を願うことでしょう。

こうやって願いが変わり、そこに住む人の価値観が変わって、各々の宗派が生まれてくるのです。

これらを考えると、宗派は人間自身が形成するといった歴史があるわけで、遠い存在ではなく、自身の心の中に必ず宿っているものである訳です。
そして、数々の教典や仏さんにしても、多種多様な形や教えがあります。これが、仏教を難しく見せる最大の原因だと私は感じておりますが、それは、例えば優しく諭されて理解できる人もいれば、”ガツーン”と怒られないとわからない人もいる訳です。

仏教は全ての人が幸せになるが為の教えですから、当然全ての人の性格や環境にあったものを網羅しなくてはいけないので、それが膨大な教典や仏像となるのです。
そしてその各々に宿る宗教心に気付き、心が安らぐよう生活を営む為のものであります。そこで、仏教を身近に感じていただくため、よく耳にする十三の仏さんを一つずつ簡単に優しく説明させていただきたいと思います。

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