縁起

厄除秘鍵大師 妙楽寺 縁起

神亀三年(西暦726年)丙寅2月、行基菩薩が8人の同行を従え、美含郡(現、佐津方面)より当峰に入り、「この地、誠に殊勝の霊地」と感応し、未来永劫仏法流布との大願を立て、当地を末代峰と名付け、松・栂・樒の中間に草堂を建立。行基自ら松で無量寿如来・楠で薬師如来・樒で大日如来の仏像を彫み安置した。

十二支院(本坊 薬師院・末院 不動院・遍智院・観音院・極楽院・弥勒院・地蔵院・遍照院・大悲院・大乗院・心地院)を持つ中本山であり、後に後一条天皇(寛弘5年~長元9年)の勅願所として、また南北朝時代には、本見塚(現、香美町)に関所を置いて因幡道の流通を握っていたといわれる。

妙楽寺城域は山名氏守護所を守る戸辺羅山城塞群との寺域と一体化し、明徳元年の山名氏内紛によって山名氏清が同城の時煕を攻めた歴史も残る。また弁慶が頼朝の使者として入山したとの伝承もある。

地元住民の福寿増長・厄除開運・子孫安寧の現世利益を願う聖地として隆盛したが、無住時代に塔頭寺院が転派し、後に第一支院薬師院が妙楽寺を名乗った。本尊は薬師如来、また弘法大師が文殊菩薩の智剣を握られ般若心経秘鍵を説いておられる姿の日本三体厄除秘鍵大師(京都大覚寺・小豆島西光寺)の尊像を祀る。

大晦日の除夜の鐘は幽玄な梵鐘の音色に多くの参拝者が絶えず、また五月四日に執り行われる柴燈護摩法会では、但馬内外より現世利益を求めてたくさんの参詣人が訪れる。境内地の山上には四国八十八ヶ所御砂踏みも祀られている。