十 信仰人口数知れずあの世のエキスパート阿弥陀如来

日本だけでなく、アジアの大乗仏教圏で、信仰という意味において、阿弥陀如来は最高峰でしょう。

<img src=”http://www.myorakuji.jp/goto_temple/img/10_amida-01.jpg” width=”160″ height=”120″ border=”0″ />「浄土三部経」のひとつの「無量寿経」によれば、久遠のむかしに世自在王仏の時代に一人の国王があり、仏の説法を聞き、無上道心をおこし、王位を捨てて出家し、法蔵と称する沙門となりました。
法蔵は仏の浄土をみて、一切の衆生を救いましょうと、四十八の願を発し、
その願の成就のため修行を積み、遂に「南無阿弥陀仏」の名号となって、
西方十億土を過ぎたところにある極楽浄土を建設し、成仏されました。

日本における阿弥陀信仰は七世紀のはじめに伝わり、阿弥陀仏とその浄土を語り、救済の意味において知らしめました。その後時代を重ね、信仰が成熟したのは、平安時代の中後期で、法然上人・親鸞上人が登場した鎌倉時代になりますと、「念仏」が、自身の滅罪と支社への追善に最適と考えられるようになります。

そして現在、阿弥陀如来をご本尊とする寺院は、全体の半数近くに達しています。

阿弥陀如来といえば、西方極楽浄土というはなしになりますが、「阿弥陀経」には極楽の様子が描かれています。
その一部を紹介しますと、極楽浄土の石垣・並木などはすべて金・銀・瑠璃・水晶の宝石から出来ており、これに琥珀・赤真珠・瑪瑙(めのう)を加えた七宝で出来た池には、白・赤・黄・青の蓮華が咲いており、地面はすべて金色で、一日に六回、曼荼羅の花が空から降ってきます。
そして美しい鳥たちが、心地よい風の中で素晴らしい鳴き声を奏でています。

さて、このような世界に生まれるには、どのようにしたらよいのでしょうか。

大切なことは「南無阿弥陀仏」を口で唱えることでしょうが、形だけではなく、
「阿弥陀仏」とその浄土の仏国土が存在するということを信じ念ずるかどうかであり、
信ずれば当然、願いも叶うというものです。

人として生まれた以上、生者必滅・会者定離でいつか死が訪れるのであります。
しかし、その死が訪れてきたときに、何か精神的に安らかになるものがあったら、多少なり苦痛を和らげられるでしょう。

そして、それが遺族の悲しみを少しでも和らげることが出来れば、阿弥陀如来の教えを信仰するに値するのではないでしょうか。
生前、信仰を持たないものが葬式だけを仏式にしたところで、それは形式に過ぎません。あの世の存在を信じ、信仰することは、自分自身だけでなく、周りの人々への多大な影響があるといえましょう。

ところでよく墓石に「倶会一処」と刻んでありますが、その意味は死後の世界で、倶に同じ世界に生まれるということであり、また「一連托生」にしても
この世で夫婦であった二人が、どちらかが先に亡くなっても「蓮の半座をあけて待っているよ」と、何も言えぬ優しい気持ちになれる言葉です。

人として生きる限り、根本的なことではないでしょうか。
極楽が理想の世界であるという大きな意味を有しています。

夫婦の絆や、家族・隣人への気持ちを今一度考え直しますと、阿弥陀如来の教えが、心に浸みるような気がすると同時に、人間らしい生き方、生活を考え直す時代になっているような気がします。

 

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