二 代表取締役社長 仏教の祖 釈迦如来

釈迦如来

仏教は、仏、すなわち仏陀【釈尊】の開いた教えです。
仏陀の語は、真理を悟った人を意味し、仏教では悟りを開いた人は、何人も仏陀たりうる。それ故に仏教はすべての人が、仏陀となる教えです。
仏陀は西暦前560年頃、釈迦族の皇太子として生まれましたが、生後七日目に、母マーヤを失い、叔母に育てられます。
少年時代よりあらゆる学問・技芸を習得し、非凡な才能を発揮されました。
社会的な地位も生活環境も恵まれており、十六歳で結婚します。
三つの宮殿を持ち、ひとつは夏のため、ひとつは冬のため、ひとつは雨期のためのものでした。
そういった快楽の極みの生活を営んでいながら、感受性の強い釈尊は精神的に満足することができず、悩みを癒すことは出来ませんでした。
人が老いて、病に冒され死んでいく様を見て、どれほどの人間もそれを免れることが出来ないことが、出家の大きな動機となるのです。
色々な師につき、様々な修行をし、その奥義に達すれども満足できませんでした。
そこで残った修行の道は苦行でした。
苦行主義は積極的に肉体の動きを抑止して、精神の純粋性を発揮しようとします。
インドには、断食や呼吸を止める行、心を制御する行など、あらゆる苦行があり、六年間にわたって釈尊は苦行を続けられました。

しかし、その苦行に結果でも、心の平安は得られず、釈尊は苦行を捨て無益だと悟り、断食を止め、村の娘【スジャータ】から新鮮な牛乳の供養を受け、体力を回復させました。
他の修行者はこれを見て、「釈尊はもう堕落した」と嘲笑しましたが、生気を取り戻した釈尊は、尼連禅河で沐浴し、ブッダガヤの菩提樹の下に座禅し、遂に三十五歳の十二月八日、夜明けの明星を仰いで悟りを成し遂げられたのです。
その後、梵天の勧請によって四十五年間インド全域に、説法の旅を続けられました。
その説法が、お経【スートラ】といわれるもので、その内容が今も尚、人々に解脱【げだつ】を勧め、その教義は人の心の悩みを解決することを目指し、教え導いているのです。
釈尊入滅後、在家信者によって火葬され、遺骨を八カ国に分け、卒塔婆をたてて、その舎利塔を崇拝の対象としました。
また、入滅後四ヶ月の頃、弟子たちが集い、釈尊の教えや戒律の規定を確認しました。この集まりが経典編集の始まりです。
釈尊が悟りを得たのは、裕福な生活を捨て、あらゆる修行の集大成でありましょう。
人は、恵まれた生活の中では心理が見えてきません。現代の利便性だけを追い続ける日本社会では、この教えを聞く耳【感性】を持つことは難しいことです。

身近なところで私が個人的に感じるのは、最近の電話機には必ず、短縮番号がついています。
あれがついた頃は、なんと便利なものだろうと思いましたが、そのおかげで、一番頻繁に電話する相手の番号が覚えられないことに気付きました。
一つ便利になりますと、一つ能力が減るような気にさせられました。
釈尊という、現実の世で生を受けた仏の心理を、少しでも現実の人が聞ける心安らぐ時間を提供できればと感じる昨今であります。

 

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